真昼のさくらと宵のSAKURA
毎年、一人でふらりと訪れる、小石川植物園の桜の小径。植物園というと人間の手によって居場所を定められた見本帳のような空間を想像する。だが、ここはなんだか一味空気が異なる。もともとは江戸幕府によって薬になる植物を育てる目的で1684年に開設され、その後東大の付属施設として改称。植物園の歴史に比例して、木々も長老揃いである。長い時間を耐え抜いててきた滋味ゆえか、長老たちが醸し出す空間は、人の手が触れた空間でありながら、世俗に犯されていない清らかさが感じられ、一本一本の木や雑草にまで精霊が潜んでいるよう。園内で真っ先に訪れるのが、四季を問わず、この桜の小径である。木の呼吸をさまたげずに植えられた距離感、芝生を植えるでもない自然なままの地面、悠然とした古木の枝ぶりなど、いずれも見事に調和しているのだ。この時期はまだ早いが、クローバーの上で素足になって佇むだけで、足の裏から土のエネルギーをグングン吸収することができる。
さて。同じ日に、訪れたもうひとつの桜のスポットは、真昼どきのそれとは正反対の様相を呈していた。六本木アートナイトを訪れた際、ミッドタウンから21_21ギャラリーへ向かう途中に見かけた桜並木である。淡いピンクの花びらがブルー系のライトを纏って、ライラックカラーに艶めいている顔立ちは、とってもモダン。場所柄にふさわしく、なんだかクールでカッコよかった。
日常の喧騒を覆い隠す強さと、一瞬で消える儚さを持った桜。その花びらは散ったあとどこへ行くのだろう。
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