前衛的古新聞畳み?!
先週の日曜日の夕方、“夜咄”という茶懐石の稽古に出る。電車の中で読む本を、書棚からみつくろっていたら、だいぶ昔に購入した『千利休 無言の前衛』という赤瀬川原平著のタイトルを見つける。前衛芸術家による利休論が軽妙に展開される本だ。車中で目次に目を通していたら「古新聞の安らぎ」という項目に目が留まり、文字を追うごとにハッとさせられた。要約すると、以下の内容である。
数十年前、著者はアパートの向かいの部屋の住人が、廊下に出しておいた古新聞の束に気づく。それは積み重ねた立方体の角が驚くほど垂直線に切り立つほど見事で、「何だこんなもの」という軽い気持ちを装いながらも、目を通した後で棄てるだけの古新聞を、このように扱うこともできると知り、“無意識の常識が大きくめくれ落ちてしまうほど”衝撃を受けたという。そして、著者は同じ行為を自らも試みる。家族に隠れて、試行錯誤しながら古新聞と格闘するうちに、最小限にきっちりと畳む奥義を掴んでいく。端から見ると、これほど無益な暇つぶし行為はないかと思われがちだが、著者は古新聞を正確に畳み直す行為によって不安と闘い、 安らぎを得ようとしていることがわかったという。その不安とは、“この世に存在する不安 ”である。
……なんだか、わかる気がする。そうなのだ、時折ぐらりと訪れる不安。存在というのは、年齢を重ねてどんなに経験を積んでも、仕事を引退した後にも変わらない。私も、いっとき、“この世に存在する不安 ”から避難したくて、古新聞畳みにトライ。確かに難しい。キッチリ角が揃うことなどあるのだろうか?手のひらを真っ黒にしながら一ヶ月分の新聞と折り合いをつけている時、読み損ねていた一つの記事が目に入った。なんと、赤瀬川原平翁が先月末に他界したという記事である。なんだろう、この偶然。妙な気分になりながらも、ひとまず新聞を最後まで畳み直した。
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