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2015年8月31日 (月)

贈り物の起源を考えると、見えてくるもの

Fullsizerender_2現代の私たちは贈り物というと、一般的にはお金を払って購入した物をさす。でも、子どもの頃はお金には頼らなかった、いや頼れなかった。誕生日会に呼ばれると、わずかなお小遣いで買い求めた文具や雑貨を、ラッピングや手製のカードを精一杯工夫して相手の笑顔を期待した。はたまた、遠足で見つけた綺麗な色の葉っぱや夏休みに拾い集めた貝殻や硝子の欠片なども、「ちょっといいモノ」として贈り物になり得た。でも、それには頭をひねり出し、どうしたら喜んでもらえるか、“●●の魔法の小石”とか“幸運の●●”などと、自分なりの物語を価値観として置き替えて、一手間も二手間もかけてモノを輝かせていた。

大人になってお金である程度の物が買えるようになってからはからは、贈り物には困らなくなった。と同時に、時として形にこだわりすぎて大切な“こころ”の部分が欠落することがある、ということに気づいた。もう一度、原点にかえって何でもないモノを贈り物として喜んでもらえることを考えたくなった。

そんな話しを、贔屓のセレクショショップvektのサチコさんに話したところ。福岡の糸島で拾ってきたという、“まあるい小石”を頂いた。ちょっとサチコさんの前髪のフォルムに似ている。これが不思議と、飛び上がるほど嬉しかった。なんだろう、この気持ち。

ネイティブインディアンの言葉では、贈り物を「ポトラッチ」と呼ぶ。なんか、小石や葉っぱ、枝や貝殻など自然界からのお裾分けを呼ぶのに相応しい響きのように感じた。サチコさんから頂いたポトラッチ。私も自分なりのポトラッチ探しを始めようと思う。

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