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2015年9月22日 (火)

キンモクセイの憂い

Fullsizerender_3公園を歩いていると、ふわりと香る。キンモクセイの花の気配。本格的な秋の訪れに心躍るとともに、少し物悲しいい気分にもなる。駅に張られていた<iichiko>のポスターがそんな気持ちを代弁していた。“咲きすぎて寂しい日もある”・・・うまいコピーだなぁ。満開に咲き誇る花を前にすると、孤独さが浮き彫りになることがある。それは、澄みきった青空やのどかな公園の風景を目にしたり、子どものはしゃぎまわる声を聞いたり、絵に描いたような平和な光景を前にしたときに、ふと訪れる。今ここに存在する幸せと思し召しものが、頂点を迎えた瞬間から下降することを知っているから悲しくなるだろうか。待っていれば、また次の瞬間が訪れるとわかっていても、手放すことが惜しくなる・・・贅沢な感情だ。

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南瓜を主役に

Fullsizerender_5田舎から帰ってくると、和食三昧の反動でカレーやらパスタやら洋食が恋しくなる。実家の畑で採れた南瓜を主役に、夫がリゾットをつくってくれた。夕方、ジョギングで消費したカロリーを大いに超えるほどおかわりをし、欲望のままソファーで眠りに落ちた。是極楽なり。

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2015年9月21日 (月)

十五夜様

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シルバーウィークの前半、夫の実家である魚沼へ帰省する。この地区には、同じ新潟県である私の実家・長岡にはない風習が細やかに残っている。例えば、お彼岸の頃には十五夜様をお祀りする。床の間に農夫図のお軸を掛け、芋茎やサツマイモ、枝豆などを備え盛る。20日にお墓まで祖霊を迎えにゆき、23日の朝に送り出す。送り出す際には、長旅で疲れないように素麺を備えるという。素麺よりもお米のほうが腹持ちがよいように思えるが、長旅と長い麺をかけているそうだ。せめてもの、お腹の足しにと裏山で拾った栗を一緒に添えてみた。

日本人はもともと農耕民族である。それゆえ、年中行事は農作物の豊作のための祈りと感謝が根底にある。自然にしても、祖霊にしても、人智を超えた目に見えないこと。風の音を聞き、空気の流れを感じ、祖先の気配を感じて手を合わせる。それは宗教とも違う、日本人がもともと持っていた豊かな感性なのだと思う。実りの季節、自然と心を向かわせ、手を合わせることが多くなりそうだ。

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2015年9月15日 (火)

祝い花

Img_5002_2かなりイイ年になったが、誕生日には気持ちが改まる。両親や親しい人から電話やメールが届いたり、夫がふいに花を買ってきてくれたりして、たとえ何歳だろうと心浮き立つ。ポジティブに年齢を捉えられるように年を重ねていきたい。

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2015年9月13日 (日)

パエリヤBRAVO

Img_4995_2休日にお友達の60代マダムのお宅でパエリヤパーティがあった。染織家の彼女は、自身の作品はもちろん、洋服もジュエリー使いも自由で品がよく、どこか愛嬌があるスタイルで、会う度に魅了される。お客様が多い家庭で、お料理好きとしても知られるマダム。料理の味はもちろんのこと、テーブルコーディネートのセンスも抜群だった。

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イケアのペーパーナプキンと作家もののお皿、イカットのテーブルクロスなど、異なるテイストのフュージョンが絶妙である。感じるままに、自分の美学の物差しにもとづいて、見ていて楽しい世界観が繰り広げられている。本当にセンスのよい人は、頭で考えるのではなく、ちゃんと心で感じれれる人なのだと思った。

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