キンモクセイの憂い
公園を歩いていると、ふわりと香る。キンモクセイの花の気配。本格的な秋の訪れに心躍るとともに、少し物悲しいい気分にもなる。駅に張られていた<iichiko>のポスターがそんな気持ちを代弁していた。“咲きすぎて寂しい日もある”・・・うまいコピーだなぁ。満開に咲き誇る花を前にすると、孤独さが浮き彫りになることがある。それは、澄みきった青空やのどかな公園の風景を目にしたり、子どものはしゃぎまわる声を聞いたり、絵に描いたような平和な光景を前にしたときに、ふと訪れる。今ここに存在する幸せと思し召しものが、頂点を迎えた瞬間から下降することを知っているから悲しくなるだろうか。待っていれば、また次の瞬間が訪れるとわかっていても、手放すことが惜しくなる・・・贅沢な感情だ。
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