2017年2月 6日 (月)

春気立つ

Img_0521_2立春を迎え、まさに春の気が立った週末。稽古場の茶道研究会へ。手習いの稽古で掛け軸の準備について実践してみる。茶会はもちろん、常の稽古でも、支度や片付けに心を注いでこそ人を「もてなす」という真意に近づけるのだと改めて感じいる。コーディネートにも菜の花色の着物で春の気配を。

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2015年11月 9日 (月)

夜咄の茶事

Fullsizerender_3Img_5418_2毎年11月に先生の稽古場で行われる夜咄の茶事。炉開きが行われ、茶道のお正月ともいえる11月初めの茶会には、装いに寿ぎの気持ちを込めて。淡い黄色のよろけ千筋の江戸小紋に、菊や七宝繋ぎ、鱗をあしらった塩瀬の染め帯、そして紅白の飛び絞りの帯揚げと若松色の帯締めをコーデイネート。あいにくの雨ではあったが、そんな時には雨のお出かけが楽しくなるエッセンスを加える。水玉の雨ゴートにマリン柄の超撥水風呂敷、傘の刺繍のリネンのハンカチ・・・。気持ちが晴れやかになれば、多少の雨や寒さなど気にならない!今月末には宗名を襲名するので、今月は気持ちを引き締めて稽古に精進せねば。

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2014年11月18日 (火)

前衛的古新聞畳み?!

Unknown先週の日曜日の夕方、“夜咄”という茶懐石の稽古に出る。電車の中で読む本を、書棚からみつくろっていたら、だいぶ昔に購入した『千利休 無言の前衛』という赤瀬川原平著のタイトルを見つける。前衛芸術家による利休論が軽妙に展開される本だ。車中で目次に目を通していたら「古新聞の安らぎ」という項目に目が留まり、文字を追うごとにハッとさせられた。要約すると、以下の内容である。

数十年前、著者はアパートの向かいの部屋の住人が、廊下に出しておいた古新聞の束に気づく。それは積み重ねた立方体の角が驚くほど垂直線に切り立つほど見事で、「何だこんなもの」という軽い気持ちを装いながらも、目を通した後で棄てるだけの古新聞を、このように扱うこともできると知り、“無意識の常識が大きくめくれ落ちてしまうほど”衝撃を受けたという。そして、著者は同じ行為を自らも試みる。家族に隠れて、試行錯誤しながら古新聞と格闘するうちに、最小限にきっちりと畳む奥義を掴んでいく。端から見ると、これほど無益な暇つぶし行為はないかと思われがちだが、著者は古新聞を正確に畳み直す行為によって不安と闘い、 安らぎを得ようとしていることがわかったという。その不安とは、“この世に存在する不安 ”である。

……なんだか、わかる気がする。そうなのだ、時折ぐらりと訪れる不安。存在というのは、年齢を重ねてどんなに経験を積んでも、仕事を引退した後にも変わらない。私も、いっとき、“この世に存在する不安 ”から避難したくて、古新聞畳みにトライ。確かに難しい。キッチリ角が揃うことなどあるのだろうか?手のひらを真っ黒にしながら一ヶ月分の新聞と折り合いをつけている時、読み損ねていた一つの記事が目に入った。なんと、赤瀬川原平翁が先月末に他界したという記事である。なんだろう、この偶然。妙な気分になりながらも、ひとまず新聞を最後まで畳み直した。

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2013年6月18日 (火)

水切り

__ 久しぶりのお茶のお稽古。廻り花といって、同じ花器に順に花を入れ替えていく稽古なのだが、これがなかなか難しい。稽古後にお花をお裾分けしてもらって、さっそくいけていみる。一日中稽古に使いまわされて、やや元気のなかった茶花だったが、水切りをしてあげたら、瑞々しさを取り戻した。人にも「水切り」的なこと、必要なのかもしれない。

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2012年7月 4日 (水)

ジャパニーズ・エスプレッソ

Imgp4380 食事を「もう少し食べたい」と思うところで、やめておく。そのかわり、ちょっとした甘味とやや濃いめ加減の抹茶で締めくくると、胃がストンと落ち着く。お菓子は昨晩のお茶の稽古のお裾分けもの。七夕の季節に毎年楽しみにしている五色の砂糖菓子が甘美な涼やかさを運んでくれた。

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2012年4月25日 (水)

所作の理由

120424_094302 Imgp4283 新しく生まれたポショポショの緑が、なんとも可愛らしい。季節が巡るたびに蘇生する木々に励まされてか、寝不足の体に鞭打ってきものでお茶の稽古へ。枝垂桜にも藤にも柳にも見える都合のよい染め帯は、4月5月だけしか締められない季節の栞。

来月からは風炉の季節となるため、最後の炉のお稽古。先生も気合が入ってか、様々な炉の切り方を想定した八炉の稽古だった。火が近いせいもあって、ふ~わり・・・いい気分になり途中幾度となく舟をこぐ。薄茶に濃茶、たっぷりとカフェインを摂取したにもかかわらず、たまらなく眠い。春眠は暁だけでなく、稽古とのたたかいも迫られる。

八炉の稽古は亭主と客がかなり近い。間近で同胞の点前を見ていて、ふと気付いた。お茶の所作はすべて客への心配りに基づいている。炉の位置がかわって、道具の位置や手の動きがかわることに、最初は混乱していたが、「客からどうみえるか」「どうしたら美しく見えるか」ということを考えると、自ずと右手と左手に指令が出せる。夢心地ながらも、そんな実りのある時間だった。

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2012年4月 1日 (日)

本物だ・・・

Kourinhakurakutenl_500 江戸千家不白会の茶会が護国寺であった。

今日は早朝から原稿書き→お茶会(2席で切り上げる)→原稿→結婚式という、なんだか予定が混在した一日で、気が重かった。

だが、憂鬱な気持ちを一掃し、かなりテンションをあげてくれたのが一席目に入ったお茶席の道具組みであった。床の間のお軸のかわりに、尾形光琳の白楽天図屏風が飾られることで話題になっていた席である。

屏風は、古典的な画法で描かれているのに、現代にも通じるグラフィクアートのような構図だと感じた。意匠化された大小リズミカルな青海波で表現された荒れ狂う海と、左上の山の静けさ。今にも転覆しそうな角度の右の船と、安定した左の船。それらの強弱が大胆で巧緻だ。

その傑作を、美術館の硝子越しではなく、自然光の部屋にしつらえられた迫力は、これまで経験したことのない空間だった。高橋平山堂さんというお道具商の席だったため、お棚も、会具も茶碗も、茶杓も、花入れも、菓子器でさえも・・・と書ききれないほど。すべてのバランスが<出すぎず、それでいて抑えすぎず>、端正でありながら屏風に合わせて香合に桧扇貝を用いるなど、ほどよい遊びもあり、なんだかキレのあるお席だった。これほどまでに“格好いい”と感じたのは、ここ最近の記憶にないほどだ。

高橋平山堂さん、機会があれば伺ってみたい。

Imgp4182 今日の装いは、柳色の蛍絞りのきものに、鏡柄の帯。一門の茶会ということもあって少し軽めの装いにしてみた・・・というのは言い訳で、原稿を書いていて気付いたら時間がなく、付け帯で出かけられるコーディネートに変更したまでだ。

護国寺では山門に向かうまでの道のりに、彼岸桜であろうか、少し濃いピンクの桜が咲き誇っていた。

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2011年5月26日 (木)

お茶の先生へのお礼状

Imgp3877 Imgp3878 先日の稽古の際に、先生から古袱紗をいただいた。さっそく帰ってお礼状を。私の頼れるアンチョコは、『茶の湯の手紙』(淡交社)だ。一緒に<きものBASICルール>のブログをしていたお仲間であり、茶の湯への造詣が深い植田伊津子さんがお送りくださった名著である。お茶事のお招きの返事やお礼、先生への季節のご挨拶や、今回のように道具類を譲っていただいた際のお礼状など・・・お茶まわりの事細やかなシーンに対応した手紙の文例がぎっしり詰まっている。同じシーンでも、相手によっての書き分け例までフォローされており、何度助けられたことか。お茶の稽古をされている方へ、おすすめの本である。

20110526 そして、今日のお弁当はこちら。「大人の弁当は茶色いなぁ」と思い、ご飯に鮭ほぐしをのせてみた。

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2011年4月26日 (火)

唐物のお式をしていただく

Imgp3822 Imgp3823 昨年いただいた唐物のお免状。ただ年数が過ぎてゆくだけで、お点前も知識もともなわないだけに、免状をいただくと我ながら恥ずかしい。しばらく仕事が忙しくてスケジュールが読めなかったのだが、炉のお稽古の最後となる4月の末に、先生がお式をしてくださった。初釜以外では拝めない先生のお点前が見られるため、心して稽古へ向かう。

我ながら不思議だったのだが、お点前を見てるうちに静かに涙がこぼれた。唐物の茶入れをこれほどまでに大切に思い、厳かに扱う振る舞いに、心を打たれたのだ。真摯に稽古へ向き合いたいと、胸中にて意を強く固めた。

今日の着物は仕服の刺繍の付下げ小紋に荒磯(アイソともいう)の洒落袋。そして、最近ヘビーローテーションで活躍している銀座伊勢由本店の宝尽くしの帯揚げを合わせた。柔らかな温かみのあるコーディネートも炉の季節である今月まで。来月からは風炉の季節を迎えるため、きっぱりと爽やかなコーディネートを心がけたい。

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2011年1月16日 (日)

初釜

1101161 1101172 16日は初釜だった。今年は昨年誂えた藤色の色無地と、決めていた。いつもの唐織の帯を合わせながらも、小物は気持ちが改まる白の清々しさに、新春らしい赤を差した小物使いとした。きものと帯が同じでも、帯揚げと帯締めがかわるだけで、新鮮な気持ちになる。だからこそ、きもののコーディネートは面白い。

さて、毎年恒例の福引だが、今年は初めて「お福さん(=はずれ)」以外の文字が・・・。「梅」の景品は、錦織の雅な数奇屋袋だった。「今年はこれで、しっかりとお稽古をせい!」というお告げなのだろう・・・。

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