2013年10月15日 (火)

うつろうオブジェ

Photo 3連休、仕事の合間を縫ってギャラリーSUへ水田典寿さんの個展へ伺う。流木や廃材、鉄のプレートに、“時のうつろい”を注ぎ込み、何十年も時間を経たような風合いへと仕上げる。古道具などを使った場合も同じように、道具が重ねてきた時間に、水田さんならではの“うつろい”を重ねる。時間を切り取ったような、ちょっとセンチメンタルな作品だと感じた。自分の暮らしの空間に置くと、すぅーっと溶け込みそう。




Photo_2 私が気になったのは、こちらの台座となっている家具。ギャラリーのオーナーが見せてくださった、水田さんの暮らしと制作の空間が取材された雑誌には、静かに丁寧に設えられた情景だった。いつか伺ってみたい。で、そんな様子に憧れて、思わず台座を2台注文してしまった。ひとつは自宅に、ひとつは夫のお店に置いてもよさそうだ。

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2013年7月19日 (金)

置く場所によって

Photo_2 先日ご紹介したクートラスの素焼きのオブジェ。置く場所が変わると、また少しアートとの向き合い方が変わる。今は、クートラスのポストカードと一緒にトイレの棚に飾っている。他人にとっては“取るに足らない”ものだけれど、自分にとっては大切なものというものがある。クートラスの素焼きは、見て、手にとって、掌で温度を感じると、心臓がキュッと締め付けられるようなせつなさを感じる。あったかくて、淋しいもの。自分だけが感じる“取るに足らない”ことを、大切にしたいと思う。

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2013年7月 3日 (水)

クートラスの素焼き×林さんの箱

Photo_3 ギャラリーSUで行われていたクートラス展。お目当てのカルタはちょっと手が届かなかったので、クートラスが自室のダルマストーブで焼いていたという素焼きの作品を購入する。林 友子さんの泥彩の箱とともに、連れ帰ることに。小さなオブジェを中におさめると、子どもの頃、気に入りの小さなものを箱に入れて大切にしていたような、温かい気持ちになった。1つだけを、ポツンと収めるのも美しいのだが、今は宝貝やら、小さなトンボ玉やら、夏目漱石のミニこけしなどと一緒に収めている。ごちゃっとしたガラクタ”っぽさがでて、かえってクートラスらしいと思って微笑ましい。

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2013年5月25日 (土)

声が表す人格

__ダイログインザダークの体験ギフトをいただく、という好機に恵まれ、夫と参加する。私が体験したのは、「種を植える」という春のワークショップ。完全に光が閉ざされるという経験は想像以上に不安だったが、慣れてくると徐々にエンターテイメントとして楽しもうという意識が働いてくる。匂いや音、味という視覚以外の感覚をしっかりと意識できて「大満足!」だったが、あの時の体感は、日常生活のなかでジワジワと思い出される。今、日々の中で一番感じることは「声」に表れる人格だ。

年齢を重ねていくと、知らず知らず声が低くなっていく。それは「落ち着き」とも捉えられるけど、惰性からくる怠慢が先に立ち、どんどん冴えない声になっていっているような気がする。そう気づいたときに、声の高低、大小、スピード・・・などを意識すると同時に、「自分の声を届けたい」と思って、しっかり話をすると相手にきちんと伝わることを、改めて実感している。また、疲れているときでも「感じのいい声」や「明るい声」で挨拶をしたり話をしていると、知らずと調子があがってくるような気がする今日この頃。ちょっと青臭いようだが、そんな素直な気づきと向き合っている。

暗闇の中で種を植えた鉢は、お土産として持ち帰ることができた。芽が出て花が咲く頃には、また違う気づきがあるように、ジワジワと感じながら、考えながら過ごしたいと思う。

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2012年8月18日 (土)

ぬ・ヌ・怒

Imgp4418_2 お盆前にBunkamuraミュージアムへ、イリヤ・レーピン展を見に行った。お目当ては、中野京子さんの『怖い絵』シリーズを読んで、身の毛がよだち深く印象に刻まれた<皇女ソフィヤ>である。絵の背景を知らずにいたときには、アッパレな憤怒の形相がコミカルにさえ見えてしまった。だが、耐え難きを耐えどこにもぶつけようのない怒りの理由を知るほどに、本当にこの絵の恐怖感が伝わってくる。幽閉されているソフィアの状況とは対照的な、宝石を散りばめた贅沢な白いドレスの迫力をはじめ、窓の外に吊るされている死体など、画集で見るよりもずっとリアルな恐怖が伝わってきた。怖いけど、レーピンの表現力は見事だった。

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大地の芸術祭at越後妻有

Mini_120813_10220001 お盆には、3年に一度開催される越後妻有アートトリエンナーレへ。夫の実家から車で1時間圏内で行けるため帰省を利用して、3年ぶりのアートを巡るドライブとなった。まずは、今季の目玉作品となっている十日町の現代美術館「キナーレ」に設置された、クリスチャン・ボルタンスキーの<No Man's Land(誰のものでもない、誰もいない土地)>へ。無機質な空間には大地の鼓動を彷彿とさせる不気味な心音か響き、積み上げられた9トンもの膨大な古着の山を、神を思わせるクレーンによって衣服が恣意的に掴み上げられては、落とされるという作品だ。




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この巨大なインスタレーションを皮切りに、次なるお目当ては中里エリアでは、内海昭子の<たくさんの失われた窓のために>。偶然居合わせた無邪気な子供たちのフィルターを通すと、窓からは温かい日常の幸福が感じられた。








Y1_20120106195049_89297900_13258470 開放的な窓の作品から一変、3箇所目のアートは廃校された小学校の体育館から廊下、理科室や音楽室、1階から3階までの教室を舞台にした<最後の教室>。人間の不在を表現した作品である。これまた、怖い。でも、どこかデジャブのような懐かしさも感じる。不思議な静けさを体験した。こちらの作者は偶然にも、前出のボルタンスキーとジャン・カルマン。

この他、松代、松之山エリアの野外アートを回りながら、お墓参りの準備のため15時でタイムアップ。また3年後を楽しみにしたい。

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2012年5月29日 (火)

ふたりの音楽家

517wppxe17l__sl500_aa300_先週末、ふたりの音楽家の存在を知った。お恥ずかしながら二人とも知れば知るほどとても著名な故人。ひとりは、武満徹(1930-1996)だ。建築家の友人から意見を聞かせてほしいと届いたプレゼン資料の中に「サイレント・ガーデン」という美しい散文があった。静かにはりつめたような耽美な表現に、心を揺さぶられた。原文を全て読んでみたいと思ってさっそくアマゾンで注文した書名は、散文と同じタイトルの『サイレント・ガーデン』(新潮社)だ。まず、なんといっても装丁が美しい。畝のある温もりを感じるハードケースには、裏表ともに小窓が設えられている。本は両扉の構成になっており、片側は闘病生活を記した<滞院報告>、もう片方は氏が“滞院”中に書いた料理のレシピ集<キャロティンの祭典>。題名が小窓から控えめに顔をのぞかせる仕組みが、なんとも心憎い。ケースから出すと、本は薄紙を纏い、扉裏の中台紙は片側が冴えたラベンダー色、もう片側がローランサンピンク。この驚くほど凝った贅沢な仕立は、編集者の武満氏へのオマージュそのものだ。レシピ集はこれからの日々にいかすとして、<滞院報告>はあっという間に読了。切実にして誠実な氏の言葉は、胸に迫り、沈黙の涙を誘った。

980gould17 もうひとりは、カナダのピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)。グールドが演奏するバッハの<ゴルトベルク変奏曲>の旋律を聴き、映像を見て衝撃を受けた。真に価値あるものに触れたときには、理屈抜きに一気に心を掴まれる。早速CDを求めに行くと、ちょうど没後30年の特集コーナーが設けられており、CDとDVD、書籍を求めた。私が購入した<ゴルトベルク変奏曲>のCDは、1959年のザルツブルクでの音楽祭の演奏を録音したもの。スピード感のある端正さ、ハツラツとしたハミングや独特の遊び心が感じられる。You Tubeで検索をして、他の年代と聞き分けると、55年に録音されたものは、ポリフォニー体系を駆け抜けた若い才気に満ちた音色。そして、81年の録音は、着実なる確実を重ねたグールドの叡智と再構築したバッハの創意が見事に調和している。音色の熟成は、毎日バッハを弾いたというグールドだからこそ出せるものなのだろう。

武満とグールドは、直接交わることはなかったが、調べてみると微妙に関係性がクロスする。グールドがこよなく好み、なんと100回以上も見たという勅使河原宏監督の映画『砂の女』の映画音楽を担当していたのが武満。そして、武満の最後の作品となったフルートのための<エア>では、グレン・グールド賞を受賞している・・・。この2~3日で得た情報だけでも、知るほどに深く引き付けられる。しばらくは、ふたりの音楽家に心を奪われそうだ。

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2012年5月13日 (日)

青いヤギ

Mini_120512_16490001 Imgp4326 昨日訪れたのは国立新美術館。お目当ては、セザンヌでもエルミタージュでもなく、私の60代エンジェルズのひとり、染色家のtomiさんが出展している国展だ。

多くの型染めのタペストリーが並ぶなか、遠めに見て、色の調和がダントツ可愛い!と思って近寄り、リリカルな図案に「Waoh!」と唸った作品がこちらの「青いヤギ」。作者名を見たら、お友達のtomiさんだったので二重の悦びだった。チャリティーコナーには、tomiさんがこれまで染めた端烈をつかった手作りのチャームが売られていた。ざっくりと取り合わせようで、しっかりとクリエイトされているバランスはさすがアーティスト。私もひとつお買い上げ。

Imgp4325 そんなtomiさんへのプチプレは、6cmほどの立方体のBOXに収められたオキザリスの球根。彼女なら、毎日素敵な言葉をかけて、きっとキュートな花を咲かせるに違いない。愛猫に食べられさえしなければ・・・。

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2012年3月25日 (日)

イ・ブル展

About_05 六本木アートナイト2012を訪れた。

お目当ては国際的な韓国の女性アーティストであるイ・ブル展「私からあなたへ、私たちだけに」。

彼女の作品は抽象的なようで、実はすごくメッセージ性が強く、最初のブースから度肝を抜かれた。柔らかいのか、硬いのか、そのどちらでもないような、肉襦袢のような作品は、宇宙を分母に人間を分子として見た場合「人間の存在はただの有機物でしかない」と、訴えているいるかのように見えた。次のブースでは、半透明の美しいコスチュームのような作品がお目見え。有機物である人間の体は、ガラスやシリコンや、ビニールチューブや鏡と同列の「肉体というマテリアルでしかない」と語られている印象だった。グロテスクな触覚が伸びたような造形と、輝くマテリアルとの対比によって「現代人が忘れかけている心の中のキラキラした部分」が浮き彫りにされているようにも感じた。

その一方で、人間から心を抜き取ってしまったら、それは「単に無機質なサイボーグでしかない」という表現もあった。黒い空間に、白いシリコンで作られた未完成のサイボーグの部位が吊るされた光景は圧巻。

作家の視線のカーソルは、人間だけに留まらず、人間が創り出した物質に対しても向けられている。何かの物体を布で覆った具象を抽象化したフォルム、未来が融解したような光景、崩壊から生まれた静寂の建物など・・・・・・。とにかく見ごたえのある内容だった。

5月27日までの開催なので、皆様ぜひご一覧を。

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2012年3月14日 (水)

スプツニ子!

Googlesong 先日、MoMAに併設されているギャラリーに、<3.11以後、アーキテクトアーティストたちは世界をどう見るか?>展を見に行った。そこで、一目ぼれした作品が、スプツニ子!の「菜の花ヒール」。歩くたびにゼンマイ仕掛けのヒールが土にくいこみ、チェルノブイリでも除染効果が実証されている菜の花の種が一粒ずつ植えられるというユニークな構想の作品。

不可思議なアーティスト名が気になって、帰宅後さっそく調べると、とてもキュートな才媛美女の逸材だった。楽曲もユニークで、一気にファンに。皆様、ぜひ要チェックを。

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